確信

しごとをやめてからいっしゅうかんほぼまいにちよるあそびにでていました。さいしょはともだちとあそびにでているといっていましたし、ともだちもいえにきてとまってあさかえっていたり、なんとなくふあんはありましたがうたがうこともたしょうありましたがなんとかふんばって、こらえていました。ただあそんでいるだけだし、きっとだいじょうぶ。いまはつらいことがあったからにげたいだけなんだと。そのおもいもむなしくついにみつけてしまったんです。けいたいをひらいたままよこでねているおくさんを。ぜったいみてはいけない。きっとみたらまえにはもどれない。そーおもいながらもこうきしんはかち、けいたいをみました。そこにはおどろくようなないようがかいてありました。でもなんとなくそこまでおどろくことはありませんでした。どこかかくごはしていたんだとおもいます。れいせいにうけいれました。やっぱりこーなるまえにしっかりとめておくべきだったと。もっとむきあえればそしできたんじゃないか、つめたくされていたとしてもめんとむきあってはなしをしていればふせげたんじゃないか、もっとよりそえばよかったんじゃないか、めちゃくちゃじぶんをせめました。もちろんおくさんにもいかりはこみあげてはいました。しぬほどしょっくだった。ぶちころしたくなった。ひとにはさんざんうわきはくそだと。ぜったいしないし、ゆるさないと。ほかのひとにさわられるのでさえきもちわるいからぜったいできない。だいすきだよ、あのことばのかずかずがすべてうそなんだと、たったあのメールのやりとりですべてをうしないました。あのときのすきなひとじゃないとできないということばは、ぼくにいっていたんじゃないか、とおまわしにぼくのことがきらいになったんじゃないなと。あさおき、おくさんにじじつかくにんをしました。よったいきおいでしましたと。いっかいしかしていませんと、じはくしてくれました。じっさい、ほんにんからきくことばはかなりおもく、ぼくのこころにのしかかりました。あさはそこでおわりました。じぶんはしごとだったためです。しかしなにもてにつかず、ましてやひるごはんさえもたべれるしんきょうではありませんでした。じぶんのなかであふれてくるかんじょう、おもい、たくさんありました。じぶんをせめたり、おくさんをせめたり、うわきあいてをせめたり、こころのなかでもがきくるしんでいました。このさきのことをかんがえるといまにもたおれそうでした。そしていえにかえり、うわきあいてとれんらくさしてほしいとぼくからおねがいしました。そしてじじつかくにんをしました。あいても、じはくしてくれました。あそびはんぶんとはいえ、たいへんなことをしてしまいもうしわけありませんでしたと。そんなことばでかたずけられるものなのかと、ぼくはいかりくるいそうになりました。ぼくはたくさんかんがえました。だいすきなひとがほかのひととよったいきおいとはいえ、そーゆうかんけいになってしまったことにぜつぼうをおぼえました。ただ、よったいきおい、それに一回だけですと、そーいっていたのでぼくはわかいからいっかいだけならおおめにみようと、しぶしぶゆるそうかなと、そーかんがえていました。いっかいだけならゆるすから、こんごのこうどうでしめしてください。それから、にどとしないでねと、つぎはないよとそーいいきかせました。このけんはこれでおわる。きっとかわってくれる。そーおもっていました。そー。なにもかもがうそだと、このときはなにもきづいていなかった。そうぞういじょうにおくさんはぼくのことがどーでもよくなっていたんだと。きょうみがないんだと。