殺意

ふたりでこんごのはなしあいをし、いちだんらくついたところで、ぼくはあたまをひやすためによなよな、バラエティーばんぐみをみていたときのことでした。ぼくのけいたいにしらないひとからのメッセージがとどきました。それはうわきあいてのおとこからでした。もうしわけありません。ちゃんといわないといけないことがあります。おこられるかくごでほんとうのことをいわさしてくださいと。ぼくはそのメッセージをみて、すごくこわかったです。これいじょうほんとうのことをしりたくないきもちもありましたし、せっかくまえをむこうかなとおもっていたところでした。じぶんはどーなるんだろう。きいてしまえばもうおわると、そーかくしんしていたからです。ききたくないとおもいながらも、ほんとうのことをきこうとおもいました。でもそれはメッセージではなくめんとむかってつたえてくれと、そーぼくはたのみました。つぎのひちょうどやすみだったため、そのおとことあうことにしました。

みためはごくふつうのひとでした。としはひとつした、だいがくせい。しかもとうきょう。おくさんとらとししたながらもむかしからしっていておさななじみみたいなものだと、そいつはいいました。すこしはなしをしてからほんだいにはいりました。ほんとうのとこどーゆうかんけいなんだと。そしてそいつはいいました。じつははんとしまえからそーゆうかんけいになっていましたと。やったのはいっかいだけではありません。あうたびにそーゆうこういをしていました。はじまりはじぶんがだいがくでうまくいかずやめようとおもっていた、ゆめをあきらめようとしていたところをおくさんにやさしいことばでたすけてもらい、ひかれてしまいました。だんなさんとこどもがいることをしっていたにもかかわらずとめることができませんでしたと。それからあうたびからだをかさねるようになりました。ぜんぶじぶんからさそっているのでおくさんのことせめないであげてくださいと。あたまがまっしろになりいかりでからだはふるえ、ぼくはぶちぎれそうになり、なぐりそうになり、ぶちころしてやろうかとおもっていました。しかし、ここでてをだせばふりになるのはあっとうてきにぼくであり、なにもかいけつもしないし、メリットもない、このクソやろーをこのてでぶちころしてやりたい、そのきもちをひっしにおさえ、じぶんのほうがおとななのでしっかりれいせいにかんがえたこたえを、かいわをしようとおもいました。ひっしにそいつへのいかりをおさえ、じぶんのいまおもっているきもちをつたえ、こんごのふたりのかんけいをどーするかもきめました。にどとあわないこと。れんらくをとらないこと。でも、ぼくはきっとやさしすぎたんでしょう。いしゃりょうはせいきゅうしないし、こんなことでおまえのじんせいもめちゃくちゃになってばかなだけだぞ。ほかにもたぶらかしてるおんながいるならいまのうちにやめておけよ、さいしょにばれたのがおれでよかったな、もっとおとなのひとならばおまえのじんせいもっとひどいことになるぞ。だからこんかいのけんにかぎらず、あそびはんぶんでうわきなんかするなとそいつにいいました。そいつとのかいわをはやくきりあげたかったのでそのていどのはなしでおわりました。ほんとはもっといってやりたかったし、めちゃくちゃにしてやりたかった。でもそのときはぼくのいかりはおくさんにいっちょくせんにむいていました。なぜなら、はなしをきくかぎり、ほとんどがおくさんからのさそいだとかんじたからです。のみにいったむかえをたのんでいえにあがり、よっていてりせいもないのに、いせいのいえにいくということは、そーゆうことになってもいいということだとかんじたからです。