これからの人生

かぞくをうしなったぼくはひとりになりました。まずは、りこんしたきめてはおくさんのうわきだったのはまちがいないのですが、そーなってしまったげんいんはほかにあるとおもっています。ぜんぶがぜんぶあいてがわるいわけではない。なにがだめだったのか、どこがわるかったのか。しっかりじぶんをみつめなおすことをはじめました。よくいわれるのはひとをあおるようないいかたをするところ、それからこどもっぽいところもありました。いきなりなおすのはむずかしいのでじょじょに、おさえていけたらとおもっています。ちなみにともだちどうしだとあおったりしないので、なんでだろうなといまでもおもいます。じぶんをみつめなおすためにはいまのかんきょうからへんかしなければだめだとおもいました。いまはしゃかいじんとしてはたらいていますが、このあいだとうきょうにいっているともだちがかえってきてたのであそびました。むかしからしっていましたが、ぜんぜんむかしとはべつじんになっていました。いうこともおとなびていたり、ふんいきもところどころおとななふんいきで、すこしおどろきました。じぶんのいまのかんきょうはおやにまもられていたり、かいしゃのひとにささえてもらっていたりと、じりつをまったくできていなかったんです。じぶんはいまのこのかんきょうにあまえきっていました。なのでことしじゅうにどこかしらないとちへ、だれのささえもなくひとりでいきていきたい。もっとぼうけんしたい、ひととして、おとことして、かくじつにレベルアップしたいなとつよくかんじました。あたらしいじぶんになるためにがまんしていた、しゅみであったり、ファッションであったり、いろんなことにいまげんざいちょうせんしています。いままでてにとることのなかった、ガラのあるふくであったり、さいきんきになりはじめたバイクのめんきょしゅとくにむけて、じどうしゃがっこうにらかよいはじめたり、あたらしくしごとさがしをしたり、であいけいをはじめてしらないひととなかよくなり、じぶんのしらなかったはなし、おとななはなし、せんもんてきなはなし、いろんなはなしをしています。おさけや、タバコもはじめてみました。さいしょはすぐよったり、むせたり、しんどかったですが、おさけはだいぶなれてきて、せんぱいといいしょうぶができるくらいまでのみなれてきました。たばこはちょっとやめようかとおもっています。あとはやはり、けんがいにでて、せけんにもまれながらせいちょうしていきたいです。これからのじんせいで、いちばんのもくひょうは、とうきょうにいるおさななじみとかいしゃをつくり、いっしょにでかくしていくことがいちばんのもくひょうです。そのためにいま、このかんきょうをかえ、もっと、ひととしておおきくならなければ、ともだちのよこにたてない、あいつはもっとでかくなっているとおもうし、いまのじぶんじゃもうしわけないきもちがあるので、ほんきでかわりたいなとおもっています。かいしゃをでかくできるようになれば、ふたりでいいくるまにのったり、かいがいにたくさんりょこうしたり、もっといいひとみつけてしあわせなかていをきずいていければなとおもっています。ちなみに、もうすでにおさななじみもかのじょとけっこんするみたいで、おなかにもこどもがいるようなので、なかなかふたりででかけることはもちろん、かいしゃをつくるかどうかさえあやしいところはありますが、とりあえずおさななじみのちかくにいきたいなということで、ことしじゅうに、とうきょうにじょうきょうしようかとかんがえています。じもとのひとたちとはなれるのはさみしいですが、あまえてばかりではいけないとおもっています。あきらめず、がんばります。

決断

そしてなやんだけっか、ぼくはゆるすほうこうにしました。ゆるすからもういっかいがんばろうと、そーいったんです。しかし、かえってきたへんじは、ごめんなさい。しゃざいでした。そのことばはまったくよそうしていなかったためなにもことばがでてきませんでした。うわきあいてははんぶんほんき、はんぶんあそび、どっちかというとあそびがつよかった。そーいっていたのに、おくさんのほうはほんきですきになってしまっていました。どんなにぼくになにをいわれようとも、あのひとのことがわすれられない。すきなんだよね。れんらくをするなとあいてにもつたえたのにもかかわらず、あいてとれんらくをとりつづけていました。うわべだけのはんせいにだまされていました。そのときぼくははじめてほんぎで、しにたいとおもいました。ゆるしたじぶんがばかだと、どーしようもないおひとよしなんだなと、きっとまたぼくのことをみてくれると、あまりにもあまいかんがえでした。それでもぼくはまだすきでした。ここまでくるとばかですよね。ぼくのきもちはどーなるんだ。かぞくは、いえは、こどもはどーするだ。こみあげるいかり。ぼくはじんせいをかけてふたりをしあわせにするとちかったのにこのしかえしはひどいんじゃないか。ぼくはそーおもいました。しかし、おきたことはどーこうかいしてもいみはありません。このさきのことをかんがえるいがいなにもないです。だからひっしにじかんをかけおちつくまでひたすらかんがえつづけました。そして、やはりゆるせなかった。ひとつきこんがえているあいだに、おくさんのはんせいしていたたいどはきゅうへん。ぼくをけいべつするめで、じっかでかんがえていて、かえったときにひとこと、なんでかえってきたの?ぼくはぶちぎれました。そこにはべつのおとこと、いっしょにいました。あー、このひとはこんなひとだったんだと。そこではっきり、あきらめました。ぎりぎりつながっていたいとがプチっとおとがきこえるくらいおおきなおとできれました。そこではじめてりこんをけついしました。ゆるせない。まるでぼくをばかにしているかのように、いいようにつかわれただけで、ようずみになればすてる。もういいやと。こどものこといえのことをはなしあいをしました。そのとうじはいえにすましてあげようと、ぼくがでていくことをきめました。それからこどものことはほんとはめんどうをみたかったです。しかし、いのちがけでうんだ、じんせいをかけてうんだ、そんなははおやから、いいかたわるいけどこどもをとりあげることはできませんでした。そこまでのかくごがぼくにはありませんでした。ちちおやしっかくですね。

だからぼくはひとりになることをえらびました。じゆうになれていいねといわれることもありました。たしかにそのとおりですが、ぼくはじぶんのむすこのことがだいすきだった。じぶんのしたいことよりもこどもといるじかんのほうがあっとうてきによかった。くるまなり、ばいくなり、しゅみなりしたいことはたくさんありました。でも、こどものかおをみるとそんなことさえどーでもよくなるほど、こどものことがだいすきだったんです。しかし、それをあきらめた。りこんするかしないかでなやんでいるときにおくさんはじさつみすいをしました。りゆうはぼくにもわかりません。そこでむこうのははおやにおこられました。ここまでおいこんでなにしてるだと、もっとあなたがちゃんとしてないからと。ぼくはおもいました。まわりにみかたがひとりもいないんだなと。そして、りこんしてまもなくおくさんに、あたらしいおとこができたことをしりました。あまりのはやさに、イラッとしてしまいました。

怒り

いちはやくそいつから、ぼくははなれたかった。それは、そいつのことをぶちころしたくなったことと、うそをついたおくさん、それから、しんじたじぶんじしんに、もうれつないかりがこみあげてきたからです。じぶんのあまりにもやさしすぎるたいおうに。うそをあのじょうきょうでへいきでつくおくさんに。いまにもひとをあやめてしまいそうな、そんなきもちでいえにきゅうこうしました。どこにもいかせたくなかったぼくはおくさんにでんわをかけました。じぶんでもおどろくくらいにおおきなこえで、どこもいくなよ、にげんなよ、ぜったいゆるさんからな!この、ぼけ!!そーいってきりました。おくさんにたいしてはじめてこえをはりあげいかりをあらわにしたとおもいます。そしていそいでかえりほんにんのくちからほんとうのことをききました。うわきあいてからこーゆうことをきいたんだけど、ほんとうなのかと。はい。そのひとことだけでした。あとはごめんなさい。だけでした。かんたんです。かぞくがこわれるのは。しあわせなじかんがこわれるのは。ぼくはなにもことばがでませんでした。なにもいうきりょくもなく、なにかをつたえたいともおもうこともなく、そのばでいきるしかばねのように、からだからたましいがぬけたかんかくにおちいりました。しあわせをつくるのにじかんはたくさんかかります。でもこわれるのはあっというま。ほんのささいなことで、こわれることもあれば、こんかいのようにどちらかのうわきでぶちこわしてしまう。そーあらためて、まなびました。こんなことをされても、ぼくはまだすきだった、りこんすることをこのときは、けつだんできませんでした。そのひからぼくは、たくさんかんがえました。こんごについて。りこんするにしても家のローン、こどものこと。まわりになにをいうか。おやにどーせつめいするのか。せつめいしたあとどーゆうことがおこるのか。また、ゆるしていままでどおりせいかつしていくのか、それとも、りこんせず、ルールをつくりしばるのか。こうこうをそつぎょうさせてあげることができなかったぶん、なにもなかったかのように、ぜんぶをみずにながし、かんぜんにゆるすのか。なにがさいぜんさくなのかわかりませんでした。かんがえたくなかった。にげだしたかった。それでも、ぼくはおとこであり、ちちおやであり、いちようだんなではあったので、しっかりあとさきかんがえ、けつだんしようとかんがえました。じんせいおかけてしあわせにしたかった。でも、うわきするきもちはなんとなくわかりました。じぶんはさいぜんをつくしていたのか。おとことしてみがこうともしてなかったし、おくさんとのかいわもながしていたこともあったし、ひとのことがいえるたちばではないのもあたまがひえてくればくるほどそーおもってきました。こうかいすることばかりでした。けっこんするときもプロポーズもしてなかったし、けっこんしきもあげてあげられるほどのよゆうもなかったし、もっとやりたいことをやらしてあげれればよかったなと、つよくおもいました。でも、こうかいしてもいみがない。このさきのことをかんがえなければいけない。なんどもこうかいと、はんせいと、このさきのことをくりかえしかんがえていました。じぶんのきもちはもーめちゃくちゃでした。ゆるそうとおもうときもあれば、なんでおれがくるしんで、おまえはわらってられるんだと、ゆるしたり、ゆるさなかったり、おくさんもとまどっていました。ぎゃくギレされる日もありました。それがぼくにとってはイライラするしかなかったんですけど、じぶんでもなにしてるかわからなかった。もーどうでもよくなってきたと思うこともありました。

殺意

ふたりでこんごのはなしあいをし、いちだんらくついたところで、ぼくはあたまをひやすためによなよな、バラエティーばんぐみをみていたときのことでした。ぼくのけいたいにしらないひとからのメッセージがとどきました。それはうわきあいてのおとこからでした。もうしわけありません。ちゃんといわないといけないことがあります。おこられるかくごでほんとうのことをいわさしてくださいと。ぼくはそのメッセージをみて、すごくこわかったです。これいじょうほんとうのことをしりたくないきもちもありましたし、せっかくまえをむこうかなとおもっていたところでした。じぶんはどーなるんだろう。きいてしまえばもうおわると、そーかくしんしていたからです。ききたくないとおもいながらも、ほんとうのことをきこうとおもいました。でもそれはメッセージではなくめんとむかってつたえてくれと、そーぼくはたのみました。つぎのひちょうどやすみだったため、そのおとことあうことにしました。

みためはごくふつうのひとでした。としはひとつした、だいがくせい。しかもとうきょう。おくさんとらとししたながらもむかしからしっていておさななじみみたいなものだと、そいつはいいました。すこしはなしをしてからほんだいにはいりました。ほんとうのとこどーゆうかんけいなんだと。そしてそいつはいいました。じつははんとしまえからそーゆうかんけいになっていましたと。やったのはいっかいだけではありません。あうたびにそーゆうこういをしていました。はじまりはじぶんがだいがくでうまくいかずやめようとおもっていた、ゆめをあきらめようとしていたところをおくさんにやさしいことばでたすけてもらい、ひかれてしまいました。だんなさんとこどもがいることをしっていたにもかかわらずとめることができませんでしたと。それからあうたびからだをかさねるようになりました。ぜんぶじぶんからさそっているのでおくさんのことせめないであげてくださいと。あたまがまっしろになりいかりでからだはふるえ、ぼくはぶちぎれそうになり、なぐりそうになり、ぶちころしてやろうかとおもっていました。しかし、ここでてをだせばふりになるのはあっとうてきにぼくであり、なにもかいけつもしないし、メリットもない、このクソやろーをこのてでぶちころしてやりたい、そのきもちをひっしにおさえ、じぶんのほうがおとななのでしっかりれいせいにかんがえたこたえを、かいわをしようとおもいました。ひっしにそいつへのいかりをおさえ、じぶんのいまおもっているきもちをつたえ、こんごのふたりのかんけいをどーするかもきめました。にどとあわないこと。れんらくをとらないこと。でも、ぼくはきっとやさしすぎたんでしょう。いしゃりょうはせいきゅうしないし、こんなことでおまえのじんせいもめちゃくちゃになってばかなだけだぞ。ほかにもたぶらかしてるおんながいるならいまのうちにやめておけよ、さいしょにばれたのがおれでよかったな、もっとおとなのひとならばおまえのじんせいもっとひどいことになるぞ。だからこんかいのけんにかぎらず、あそびはんぶんでうわきなんかするなとそいつにいいました。そいつとのかいわをはやくきりあげたかったのでそのていどのはなしでおわりました。ほんとはもっといってやりたかったし、めちゃくちゃにしてやりたかった。でもそのときはぼくのいかりはおくさんにいっちょくせんにむいていました。なぜなら、はなしをきくかぎり、ほとんどがおくさんからのさそいだとかんじたからです。のみにいったむかえをたのんでいえにあがり、よっていてりせいもないのに、いせいのいえにいくということは、そーゆうことになってもいいということだとかんじたからです。

確信

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違和感

いわかんはしだいにふあんにかわり、うたがいにかわり、いらだち、あせり、いろいろなおもいのストレスへとかわっていきました。いつしか、こうどうをしばるようになり、すこしのいせいへのかいわでさえもイライラするようになりました。きっとそーゆうこうどうさえもいやだったんだとあとからしることになることは、このときはまだおもってもみなかったとおもいます。だんだんかいわもへり、かおもあわせてあいさつもすることもなく、ようがあるとおもえばかじのもんくであったり、はなしをしていてもけいたいをかまいながらのからへんじ。そのたいどにぼくじしんもたえがたく、にげるようにおくさんとかかわることをへらしました。それでもきょういちにちなにがあったのかをほうこくもしたかったし、そーゆうのでかいわもしたかった。よるごはんのじかんさんにんでたべるのですが、おくさんはそそくさにたべ、ソファーにねころがりゆーちゅーぶやいんすたをみるしまつ。かいわをしようにもどうせからへんじなのがわかっていたため、なにもはなすきになれませんでした。ほんとにこれがふうふのかたちなのだろうか。まわりのふうふはもっとたのしそうにしているのに、どうしてなんだろう。いわかんではなく、ふあんにおおきくかわりました。そのふあんをかかえたままぼくはひびをすごしていました。おくさんのへんかをぼくのともだちにうちあけると、ぜったいほかにできとるな、もしくはふつうにきらいというか、なにもおもってないんじゃない?といわれました。ふたりでがいしゅつしとるときはなかよさそうにみえるけどいえのなかでつめたいとか、あいてしてくれないならおわってるでと。おくさんもよるともだちとあそびにでるかいすうもふえました。さいしょはインスタのストーリーにみんなとあそんでいるところをうつしていたのですが、かいすうがふえるにつれそれもへり、よるはだんだんかえってくるじかんがおそくなり、きづけばあさのごじはん。おそすぎないかとなんどもちゅういをしました。ちゅういするたび、こうこうそつぎょうできなかったし、こそだてであそびたいときにあそべれなかったからべつにいいへん?ふうふなんだし、そこまでしばられたくないんだけどといわれました。たしかに、そつぎょうさせてあげられなかったことはもうしわけないとずっとおもっていました。だからそれいじょうつよくちゅういもできず、つぎははやくかえってきてねと、かるくいうていどでおわっていまきた。それでもぼくはじぶんをまもるようにうたがうことをしませんでした。ただやっぱり、よるでるたびにイライラするし、すごくストレスでした。そんなころ、しごとのひととうまくいかなくてしごとをやめたいとそうだんをうけました。とつぜんのことだったのでやめられるとせいかつできない、きっとやっていけないからつぎのしごとがみつかるまではがまんしてもらいたい。そーゆうはなしになりました。しかし、どーしてもたえられない。ごめん、このままだとしにたいかも。むかしのころをおもいだしました。よわよわしくつらそうなおくさんをみているとさすがにげんかいなんだなと、そーおもいやめることをきょかしました。

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出会い3

ぶじめでたくこどもがうまれました。しごとをはやくあがらしてもらい、いそいでかけつけました。しゅっさんにたちあえたことがまた、ぼくのじんせいをおおきくへんかさせてくれました。よくドラマでしゅっさんシーンがありますが、ほんとにあんなかんじでドキドキしました。いのちがけでいのちをうむ。ことばにできないくらいすばらしいことがめのまえでおこっていました。げんきなおとこのこです。たくましくうぶごえをあげ、おかあさんとごたいめんです。もちろんおくさんはないていました。でもとてもしあわせそうなかお。ほっとした、なんともいえない、あんしんしたひょうじょうをしていました。うまれたてのこどもをだっこさせてもらいました。かんじたことのない、いのちのおもみ。18というわかさでちちおやになりました。ほほえましいとともに、ぼくがしっかりしなければふたりのことをふこうにしてしまう。ぜったいこのかぞくをしあわせにするんだと、あらためてかんじました。ふたりでいっしょにかんがえたなまえをつけ、これからしあわせなかていをつくるんだとつよくおもいました。さいしょは、ぼくのじっかぐらしをしていました。うまくいくとおもっていましたが、よめしゅうとめもんだい、それからぼくのおやどうしのけんかがよくありました。ちちはたんきだし、ははおやはねちっこいしでおもうようにいかず、みんなのストレスがどんどんたまっていくじょうきょうでした。おやと、おくさんのあいだにいたばさみになっていたぼくはとうとうがまんのげんかいがきて、ばくはつしてしまいました。そのひのうちにおくさんのじっかにすむことになりました。そこから、やくはんとしくらいおくさんのじっかでくらしていました。そのころにおくさんのほうから、いえをたてたい、さんにんでくらしたい、きをつかわないせいかつをしたいということをいわれました。さすがにこのとしでいえをたてるなんてむずかしいんじゃかいかとおもっていました。しかし、そのきもちはいたいほどわかりました。ころがりこんだぼくがいうのもしつれいですが、きをつかうのもつかれていました。いちようじゅうたくがいしゃさんのほうにうかがい、はなしをしているうちにむりではなさそうにかんじてきました。それからけいかくすることいちねん。なんといえをたてました。よんえるでぃーけーのかどちにいえをたてたんです!それはそれはしあわせでした。おふろもあしをのばしてはいるのはおんせんいがいできなかったんです。でもこれからまいにちいえのおふろであしがのばせる!とおもうとすごくうきうきしてました!さらににわではむかしからゆめだった、ばーべきゅーもできるんです。たくさんともだちをよび、よるもどんちゃんさわぎ、おそくまでみんなといえであそべたり、こどもがいながらでもなにもきにせずみんなであそぶことにすごくしあわせをかんじていました。こどももみるみるうちにおおきくなり、さいしょは、あーあー、わーわーいっていたのが、ぱぱ、まま、いろんなことばをはなせるようになり、かたことながらもひっしにいおうとするすがたがたまらなくかわいかったのをいまでもおぼえています。こどもも、おくさんのこともかわらずだいすきでした。

それから、あたらしくすんでいちねんはんたったころに、ぼくのいわかんはめばえはじめました。せいかつにもなれ、おたがいのふうふというかんけいにもなれてきたのか、あきあきしてきたのかわかりませんが、おくさんがあまりじぶんにきょうみをしめさなくなりました。さいしょはなれてきたからだろうと、まいにちいっしょにいるからきっとこーゆうものなんだろうと、そーいいきかせていました。