出会い2

かっとうしたけっかうむことをけついしたかのじょは、おやにほうこくをしました。もちろんぼくじしんもじぶんのおやにほうこくしました。じぶんのおやはとしもだいぶいっていたし、ほんとにふたりがしんけんにこうさいしているならめでたいことだとおもうし、いいんじゃないかと、うむことにさんせいしてくれました。しかし、かのじょのおやはちがっていました。こどもがこどもをそだてることをわかっているのか、もうすこしでそつぎょうだったのに、このこのしょうらいはどーなる?そだてるのにおかねがすごくかかる、それはどーする?あなたもせんもんがっこういくんじゃなかったの?としっかり、れいせいにおこられたことをおぼえています。しかし、いざいのちとなるとかんたんにおろす。というけつだんにはどーしてもなれませんでした。それはかのじょもおもっていました。どうにかおかあさんをせっとくしようとなんどもおうちをうかがってはかえされのくりかえしでした。そこでぼくだけてなくぼくのりょうしんといっしょにしゃざいとせっとくをしにうかがいました。かのじょもかのじょのおやもないていました。それほどだいじなけつだんだったとおもいます。そのあと、じぶんのおやから、おやになるということは、こーゆうことだと、こどものことをおうえんしてやる、ささえてやるのがわたしがおもうおやのかたちだとおもう。おおきくみちをはずれればしっかりきどうしゅうせいしてあげるし、こまったこと、なにかあればちからになる。そのとき、おやってかっこいいんだなと、はじめておもいました。いままではすきなようにやらしてくれたし、なにをいうにもおうえんしてくれたし、ちからになってくれていました。ぼくもじぶんのおやのように、かっこよく、めだつことなく、かげながらこどもをささえるつよさ、ちしきがほしいなと、こーゆうおやになりたいとつよくおもうことができました。おたがいのりょうしんはどうにかせっとくすることができました。つぎのもんだいはがっこうでした。もちろんおこられました。ぼくはどうにかそつぎょうをゆるしてもらえるようになりました。こもんのせんせいがこうちょうせんせいをせっとくしてくれたことをあとからしりました。しかしかのじょのほうはさいしょはそつぎょうできるといっていましたがもしかいだんからおちたり、かどまがってきたひととぶつかってなにかあったときにせきにんはとれないとがっこうがわからいわれ、やめたくないと、そつぎょうしたかったとないてやめることになりました。そのときぼくはかたくけついしました。かのじょも、うまれてくるこどももいっしょうだいじにしようと。しあわせにすると、こころにきめました。

そこからはつわりのひどいじきがありました。なにもくちにすることもできず、はきけはおさまらず、きもちわるいひびがやくさんかげつつづきました。かのじょはすごくひへいしていました。ぼくはそばにいるだけでせいいっぱいでなにもできず、いわれたことをするか、ほしいものをじんそくにかいにいくしかやってあげることがわかりませんでした。ながいきかんがおわりあんていきにはいりました。そこからどんどんおなかもおおきくなりました。そこからはしゅっさんのじゅんび、うまれてくるあかちゃんのじゅんびをちゃくちゃくとすすめていきました。そのじかんはひさしぶりにたのしくすごすことができました。ふあんもありましたし、ぼしともにけんこうですごしてほしいと、ぶじにうまれてきてほしい、かのじょもぶじにしゅっさんできることをねがっていました。そしてさむいふゆもあけしがつになりいよいよしゅっさんのじきがきました。

出会い

つきあいはじめていっかげつかん。かなりながくかんじました。けんかのたえないまいにち。このままつづくかわかりませんでした。でもどこかこのひととけっこんするんじゃないかとおもっているじぶんもいました。もとおくさんは、めちゃくちゃごはんもおいしくて、きびしいときもあり、やさしいときもありました。ほんとにほんとにだいすきでした。ずっとずっといっしょにいるとおもっていました。ぼくはぶかつでやきゅうをしていました。しあいがあるたびいちがんれふのかめらをもってしあいをみにきてくれていました。ぼくがなげるすがた、うつすがたをしゃしんにとってくれていました。いつもよりしあいもやるきがでたし、なによりかっこいいところをみせたいじゃないですか。だからいつもいじょうのパフォーマンスができたのでかんしゃしかないですね。やきゅうでこころがおれそうになったときも、ケガをしてくじけそうになっても、たいかいのまえもよわねをはくことがありました。そのときもささえてくれたのはかのじょでした。ささえてもらったのになつのたいかい、けっかはしょせんはいたいでした。じぶんのなかではさいこうのぴっちんぐができたとおもっています。たいせんチームに、ちゅうがっこうのときのエースがいました。ふたりでなげあいをして、いいしあいでした。けっかは負けてしまいましたが、さいごがあいつでぼくはよかったとおもっています。ほんねをいえば、かって、たくさんかつやくするすがたをみてほしかったですし、おなじじかんをすごしたチームメイトのためにもかたせてあげたかったです。そしてあっけなくなつもおわりました。みんなでかかげたチームテーマ。さいごまでわらっておわれてよかったなとおもいました。こうこうやきゅうはとてもたのしかったです。

なつやすみ、かのじょとおおさかに、いっぱくふつかのりょこうにでかけました。いままでささえてもらったおんがえしにとおもい、ちょっぴりがんばりました。しょにちはゆーえすじぇーにいきました。めちゃくちゃたのしみにしていて、あさのはやくからバスでドキドキしながら行ったのをおぼえています。かいえんして、さいしょにいちどものったことのなかったジョーズにのりたくてならんでいました。もうすこしというところでかのじょはひとよいをしてしまい、きもちわるくなりうごけなくなりました。ぼくはあせったのとどうじにぼくじしんもどうようしてしまいどうしようかなやんでいました。とりあえずのみものをかいにじはんきへ。あとはすずしいこかげにいき、きゅうけいをすることにしました。きんちょうやふあんもかさなったのかほんのいちじかんていどでなににものらずホテルにいきました。いちにちめはホテルでふたりともぐっすりねておわりました。ふつかめはたいちょうはばんぜんではないもののかいゆうかんにいきました。ぜんじつのたいちょうをしんぱいしていたのでふつかめもむりせずはやめにかえりました。あっといつまにいっぱくふつかのおおさかりょこうもおわりました。もちろんふたりでたのしみたいきもちはつよかったですが、こーゆうハプニングもあったなと、しょうらいわらいばなしになればいいかなとおもっていました。

それからもたまにきもちわるくなるときもあるし、しょくよくもない、そしてせいりがこないことにきづいたかのじょは、ふあんそうにそうだんをしてきました。にんしんしたかもしれないと…。とうじはがくせいでしたし、さんねんせいということもありもうすこしでそつぎょうでした。しかし、ひとつのいのちということもあり、おろすかうむかという、どちらのせんたくをしたらいいのか、かっとうをしていました。

初めまして

初めまして、こんかいしはじめました。じぶんを変えるためにいろんなことにちょうせんしたいとおもいます。てきとうにかくってめちゃくちゃむずかしいなー。

じぶんが変わろうとおもったきっかけはりこんしたおくさんにあります。おとことして見れなくなりいっしょにいらなくなったと言われました。それはきっとじぶんじしんがおとことしてみがこうともせず、なにもかんがえず、いっしょうこのままのせいかつだと思い、なにも気にせず生きてきました。りこんしたことでそれに気づかされました。それいらい体づくり、びよう、ファッション、こうどう、いろいろなことにきょうみをもちこれからもっと、じぶんをみがくようにしたいとおもっています。

こどももいるのでしっかりちちおやとして、こどものてほんとなるようにいきていきたい。こどもがまわりのひとにじまんできるようなおとなに、おやに、なりたいなとおもっています。

まえのおくさんとのであいはこうこうせいのときでした。がっこうのなかのいいともだちからうらぎられてしまい、はみだしものになっていました。ほけんしつにかよい、がっこうをやめることをかんがえているとほけんしつのせんせいにききました。そのころまだすきというわけでもなく、ただきになるともだちていどのおもいでした。まいにちじゃなくてもいいからきがむいたときにだけでもかおだしにがっこうかよえばいいんじゃない?そのことばをきっかけによりいっそなかよくなることができました。それからぼくじしんもほけんしつにかよい、たくさんはなしをしたり、わらいあったり、どんどんすきになっていきました。なかよくなってからにかげつくらいしてから、じゅうにがつにつきあうことになりました。さいしょはじぶんのかんがえとあいてのかんがえがうまくかみあわずけんかがたえなかったことをおぼえています。ふつうのかっぷるならばさいしょから、らぶらぶなはずなところをけんかばかりでほんとにだいじょうぶなのかとふあんにおもうことがおおかったです。でも、ケンカするほどなかがいい。よくききます。たしかにらぶらぶなのもいいかとおもいますが、なにもいわず、がまんばかりしていっしょにいるのもなにかちがうようなきがして、ぼくたちふたりのなかでは、けんかしてまでもしょうじきにきもちをつたえる。そーすることでおたがいのきもちをよりりかいできるとおもったし、よりなかよくなれるとおもったからです。しかし、けんかするたびかのじょは、メンヘラなところがありました。けんかするたび、もうしぬ、わかれる、しにたい、きえたい、ぼくとはまぎゃくのかんがえをもっていました。それでもすきだったのでぼくはひっしにことばをかけたり、よなかにあいにいったりなど、できることはぜんぶしてきました。こもんのせんせいにみつかり、つぎのひおこられたこともありました。がっこうでいちゃいちゃしていたらしょくいんしつによばれ、しょくいんしつのまえでせいかつしどうのせんせいにおおごえでどなられることもありました。いっしょになってからいかないところもいけたし、いやなことにもちょうせんできるゆうきをもらえたし、いまおもえばめちゃくちゃいいひとでした。ぼくにはもったいないくらいさいこうのひとでした。それはけっこんしてからもかわらないひびだったとぼくのなかではおもっていました。けっこんしてからも、まわりからなかいいふうふだねといわれることがすこぐうれしかったのをおぼえています。わかいからふあんなこともありました。でも、まいにちがすごくたのしかったです。できることならあのころにもどりたい。かぞくさんにんでわらいあっていたあのころに。